会長インタビュー#1 熊坂賢次さん
2018年8月の社員総会において、CIECの新会長に京都大学の若林靖永教授(京都大学経営管理大学院経営研究センター長)が選出されました。この連載インタビューは、若林会長のイニシアティブにより始動した新企画です。CIEC会員を中心に、ユニークな研究や実践に取り組む方々を会長自らがインタビューすることにより、多様な会員が集い、想像を超える創発の場になっているCIECの特徴を再確認し、学会内外に発信します。
記念すべき第1回目のインタビューは、2019年4月9日に京都大学東京オフィス(新丸の内ビルディング10F)において行われました。インタビュイーは、2014年度から2017年度までの2期4年間にわたって本学会を牽引してきた熊坂賢次CIEC前会長(慶應義塾大学名誉教授)です。
(編集:CIEC広報・ウェブ委員会 小野田哲弥)
1.情報社会の2つの方向性
若林
私たちのそもそもの出会いは2010年頃でしたね。当時から新しい社会調査手法を駆使して、今まで見えなかったものの「見える化」や、社会構造のゆらぎに対応したプロジェクトを学生たちと進めているという印象を持っていたのですが、その辺について今回改めて詳しくお話をお聞きできればと思います。その前に、最近こういうニュースがたまたま流れてきて、へーっと思ったんですけど、これが最近の入社式の写真(2010年頃)なんですよ。すごいでしょ、この手の組み方の画一感。
熊坂
なにこれ?ひどいね。
若林
すごいでしょ?一方これが1986年、つまり私が大学院に入学した当時の写真です(日本経済新聞 夕刊 2010年9月16日)。みんな自由でしょ、バブルというのもあるんだけど。だからインターネットで社会が揺らいでいると言うけど、インターネットで情報が普及すると、みんな合理的な計算をしてリスク取らなくなって、逆に画一的な行動が強化されているように見えるんですよ。
熊坂
それは昔からどっちにいくかという議論があったね。
若林
両方ありうるという事ですよね。インターネットの活用にしても、コンピューティングの活用にしても。古典的なドリル的につまんない勉強は徹底的に効率的にやらせるというのもあれば、イノベーティブなクリエイティブな方向にいくという議論もあって、両方の使い方がある。
熊坂
それと同じでさ、大企業はみんなこうなんだよ。ベンチャー企業は好き勝手な格好して、入社式だってやらない。いつ入ったっていっこうに構わない。面白ければ続けるし、つまらなければ辞めちゃうし、もっといい会社があればすぐに動いちゃう。ただ、日本のエスタブリッシュメントはいまだにベンチャー企業をマイナーだと思ってて、メディアも相変わらずのマス思考だから、こういった大企業の入社式の写真を出して、ほら、今の学生はみんなこんなに真面目にやってて偉いでしょって。だからそういう意味では80年代の方が健全だったんだよ。
若林
大学の教育システムもそうで、我々が学生の頃は、良いか悪いかで言うと悪い面もあったけど、大学の先生は好き勝手に講義してて、学生たちは気が向いたら授業に出る。それでもちゃんと卒業していたという時代だったけど、今はきちっとしたカリキュラムポリシーを作って、一週間の内に取れる授業の上限も決められて、毎回毎回宿題が出て、予習復習を要求する。このスタンダードを文科省が要求していて、それを満たさないとアウト!ってルールを作ってしまったから、もう全国一律で大学の教育システムがそうなっちゃって、学生たちもそれに順応しちゃってるからね。
熊坂
僕のシラバスはいい加減なのよ。これを信じて来る人は怒るから最初に取らない方がいいよというくらい。ただ授業というのは、全てインタラクティブなんだから、どういう学生が来るかによって、はじめて授業内容がフィックスされるわけ。だから、第一章が何で、第二章がどうとか、それじゃ授業じゃなくて一方的に喋るだけの講演。僕はそんな授業はしたくなくって、例えば30人の学生が来ているとき、その30人は、それぞれ色々な想いを持ってきているし、その想いに向かってみると、用意してきたこんな話、こいつら聞いても面白くないから止めようとか、ここをもっと掘り下げた方が面白いなとか思うわけで、シラバスなんて無意味なんだよ。だから、文科省的には僕のシラバスは最悪なんだけど、シラバスであらかじめ何を教えるかわかっているなら、そんなの大学に来る必要ないんだよ。自分で本を読んで勉強すればいいんだから。さっきの入社式のように画一の方向で行くなら、インターネットは一体なんの為にあるんでしょうかという議論になる。みんな同じような顔して、同じスーツ着てというのは、インターネットは求めてないんだよ、理念としてはね。ネットが求める「自律・分散・協調」の世界というのは、まさにアドリブで、この瞬間何をやるか。だから今回のインタビューも若林さんと事前に何の打合せもしてないけど、今さっき写真を見せられた途端、僕の頭のスイッチが入る訳だよ、ガーってさ。
若林
あいかわらずラディカルで、聞くたびに徹底しているなぁと(笑い)。古典的なモデルは、標準的な知識やスキルを身につければいいという事で、みんな同じ事ができるようになるというような教え方をする。ところが江戸時代の寺子屋も含めて実はそんなもんではない。最近注目されているモデルとしては、カナダで生まれたICEモデル(Ideas:基礎的知識、Connections:つながり、Extensions:応用)というのがあるんですね。基礎知識を学ぶというのは学習のベースだから大事なんだけど、そこがゴールではなくて、基礎知識と基礎知識、あるいは自分の経験やスキル、それらを結びつけて、実際に直面する問題の解決や夢の実現のためにそれを活用する。そこまでいって始めて学びであり、学習者のある姿だという。
熊坂
僕はね、授業に行くとき何も持っていかない。それで喋りながら今日は何やろうかなと学生たちの顔を見ながらテーマを決めて、誕生日の順番とか、知らないやつら同士をくっつけて3人くらいのチームを作る。で、午前と午後の連続授業だから、飯を食いながら、このテーマで議論して、結論を出して帰ってこいと。そうすると初対面の彼らが、飯を食いながらコミュニケーションして、与えられた課題をネットで一生懸命調べて綺麗なパワポを作ってくる。そして、6~7のチームにプレゼンさせて、批判し合ってどこが一番面白いかとかやる。その時、どんな答えが返ってくるのか全然わからないけど、出された答えに関しては、僕はそれなりの切り口でもって構造分析する。僕は学問を教えているのであって、知識を教える訳ではないんだ。来たものに関しては、いわゆる学問のスタイルをもって斬ると。その切れ味をお前たちに教えてあげると。それがプロの技だよね。真剣なバトルっていうのは、学生と教員がテーマ自体その場で決めて、せーのでやって、それでもって誰が面白い事を言うかなんだよ。学生は1人だと全然なんにもできないんだけど、3人揃うと意外と良いものを作ってきて、僕も負けそうになる。学生はディテールの読み方とか構造化は下手なんだけど、個別のアイディアについては僕も気づかなかったような事を考えてきて、それはすごい。だから僕も学ぶんだ。めちゃくちゃ学ぶんだ。でも、チームを超えたレベルで、概念同士がどうポジショニングされるかといった構造化は僕の得意技。お前たちが言う答えは、こういう軸で分けられて、全体のストラクチャーがこういう風に見えてくるというのを教えるのが僕の役目。
若林
落としどころは社会学的ですね。出てきたものをロジカルに並べて全体像が見えるというのは、社会認識を発展させる社会学の王道的アプローチですから。最後のところで、なぜこのような方法を採用するのか、少し鍵が見えたように思うのですが、改めてなんでこんな方法で自分は授業をすべきだと思うのかと、真面目に聞かれたらどう答えます?
熊坂
僕はこう見えて、ゴリゴリの構造主義者だからね。その理由についてわかってもらうために、僕の原点というか遍歴をちょっと話していいですか?
2.研究者に不可欠なベンチャー・スピリット
1970年代
熊坂
最初、僕は理論社会学者だったのよ、タルコット・パーソンズ(アメリカの社会学者1902-1979)の理論をずっとやっていて。でも理論家として食っていけるほどではないと悟ったときに、社会調査とかインタビューとかの現象分析に入っていったわけ。で、入って行ってわかったのは、オーソドックスな手法は全部つまらないってこと。なぜつまらないかというと、時代が明らかに違う段階に動いているのに、相変わらず今まで通りの手法で社会分析をやっていたから。つまり、僕が大学院終わって一人前の学者になってくる頃、日本は産業化の段階を終えて消費社会に入っているのに、昔ながらの手法で社会を分析する学者しかいなかった。そのとき僕は、理論家としては駄目だったけど、消費社会については実感として十分に理解していた。だから、それ(消費社会)に合う形の方法論を自分なりに全部作っていこうという風に思ったの。
バブル期
熊坂
これは、そんな中で僕が作った最高傑作。『素顔なんてないの』という、ゲームブック風のアンケート調査。1984年当時、ゲームブックが流行ってて、それで社会調査をゲームブックのスタイルにしてみたもの。オーソドックスな社会調査のルールに即したアンケートなんてのは、答える側のことを全く考えてなくて、ノルマであって苦行でしかない。アンケートだって消費社会らしく、調査をされる方も作る方も楽しくないといけないという発想で作ったのがこれ。文章もいい加減だし、マンガも入ってる。で、何日かかってもいいから遊びながらやってもらって、〇を付けた答えを最後にくれと。そして、このゲームブックは記念に取っておいてと。周りは「お前、こんな邪道な調査をやっているようじゃ学者生命失うぞ」というような事を言っていた。でも、85年頃のバブルの時代、日本の消費社会における新しい若者の世界観を知るためにはこういうアプローチが必要だと、強い信念をもって作ったの。今もってこんなアンケートを作ったやつは一人もいないよ。
熊坂
そのあとにやった『女のくせに』という社会調査も、刺されちゃうようなタイトルだけど、実は女性の自立を支援するために行ったもので、俵万智さんの『サラダ記念日』から20個くらいの歌を引いて作った。「この女の子の生き方は好きですか?嫌いですか?」と聞いて、それを分析するんだよ。こんな事も誰もしない。普通の先生だったら有り得ないし、試験だったら0点。でもその当時の僕は、それをしないと気が済まないというか、むしろ、この手法で社会が分析ができないなんて事はありえないくらいに思ってた。今にして思えば、そういう冒険をしない限り、研究者になんかなっちゃいけない。上の偉い先生が言った言葉をそのまま鵜呑みにして、それを下に伝えるような馬鹿な真似はするなと。学者というのは自分で全てを考えるのだと。自分の力で世界を切り取るような根性がないと、学者になる資格はないと言いたいね。
ネット社会の到来
熊坂
だから、インターネットによって新しい社会が到来したときも、iMap(アイマップ)という社会実験を2000年の段階でやった。これも紙の調査を単にネットに移しただけの調査ではなくて、20万件のライフスタイルのアイテム、たとえば手塚治虫でも、どの作品が好きですか?とかを、今でいう「いいね!」ボタンでぽちぽちクリックしてもらって、一人で1,000とか2,000とか答えてもらう新しい手法で。今だったら分散的に繋げてできたりもするけど、Wikipedeiaもない頃だから、もうゼミ生たちが毎日奴隷のように打ち込んで作ったリストでね。その時は本当に大変だった。院生の学生にデータベース作りから全部やらせたの。僕は教えられないから、Oracleの研修に行かせるわけ。一人30万の研修に3人とか。そのために一生懸命稼いできた研究費を全部つぎ込んでね。そういうことを次から次へとやってるんだよ。時代がこれだけ動いているんだから、そのくらいの覚悟がないとね。古くさい錆びついた手法じゃ、新しい時代は見えないんだよ。
学者としての信念
熊坂
自分がやりたい事だけをきちんとやれ。そこが一番大事。それは何故かと言うと、みんなに媚びてるような状況だと大体平均的なレベルになるから。昔だったら、このレベルの知識、技術を持っていれば、優秀だと評価されて生きていける時代だった。でも、今や標準的なレベルで社会は動かない。内閣の支持率とか、聞いてるだけで虚しいだろ、あんなの。だってあれ、現実を反映してないもの。沖縄のここはどういう風に考えているとか、そういうレベルだと腑に落ちるじゃん。だとしたら、そのレベルをどういう形で把握するかという事をもっと真剣に考えなきゃ。その意味で、ほとんどの研究者は甘いというか、単なるお勉強のし過ぎだよ。本じゃなくて自分の頭で考えなきゃ。本に答えがなきゃ、フィールドに出て行って、現実をきちんと取ってこいと。それを吸い上げるような方法論とか、微細なロジックを組むという事をして行かない限り次は見えないなという風にすごく思うのね。それが、僕の原点なんですよ。
3.SFCに見る部族分断のブレイクスルー
若林
お話を伺って、学びと学習者の目指すべき像のモデルの違いの背景に社会認識の違いもありそうですね。社会も一般的な法則や構造で理解しようとすると、社会調査の方法もどんどん規格化が進んで、それはそれで世界各国のいろんな時代や階層の違いが比較対照できるという良さがあるけれども、先生自身はそれでほんとに時代は捉えられるのかと。さらにサイエンスに対する見方の議論になりますが、サイエンスも再現可能性のような哲学がある一方で、もう一つのサイエンスは、人間が物事を認識するプロセスと捉えるなら、アートであってもいいという議論ですよね。先生のお話を聞いていると、「私のアートのようなサイエンス、それに文句があるなら、あなたのサイエンスを作ったらいい」と。でも別にどっちが正しいのかという話じゃなくて、それぞれが対峙しながら社会認識を発展させていけば良いみたいな、そういう信念を感じます。
熊坂
僕が言いたいのは、アーティストが個人的に考える主観的なものじゃなくて、客観性に対するアンチを作って、認知のずれから生まれるコミュニケーションが重要だってことなんだよね。今までは客観と主観のリアリティしかなかった。客観的なリアリティってのは、「水は水」という事実としてのリアリティ。他方で主観的リアリティってのは、「君はお茶だと思っているようだけど、僕は水だと思っているからそれでいいよ」という実感としてのリアリティ。今までその二つだったんだよ、大体ね。でも、そうじゃないだろうと。認知にずれが生じたときに、人間は初めて会話をする。認知がずれているからこそコミュニケーションが意味を持つんだよ。二人でお茶だ水だと議論していくうちに「ひょっとしたら炭酸かもなぁ」という了解が生まれる。つまり、客観性とは違うし主観をも乗り越えた形の新しいリアリティ。これを間主観的な認識と言う。ネットワーク社会になって重要なのは、この間主観性の中で了解すること。世界が1個の認識で動くなんていう客観的な世界はもうあり得ないんだと。そういう社会になりつつあるという認識をちゃんと持たないと絶対ダメだと思うんだ。そしてそれこそがインターネットの理念である「自律・分散・協調」であり、僕のものを見る基本の原理だね。
若林
おっしゃるように「自律・分散・協調」になればいいんだけれども、実際は大企業のシステムであれ中央政府であれ、日本社会では、逆に統一化・規範化・標準化が強まっていて、一方でデジタルネイティブを中心にそれぞれの島ができてて、島の間を繋ぐ人がいなくて、繋ぎたい人が現れても逆に異端視されがちな状況にありますよね。分断なのでマーケティング用語的には「トライブ」(部族)っていう言い方もしますけど、なかなか最後の「協調」にならへんよなと。
熊坂
やっぱりその時、トライブを媒介するやつが必要なんだよ。SFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)でもいろんな人(教員)が来たわけ。テクノロジーの人も、文系も、アートの人も。みんな自分の専門を持っているから、やっぱり協調しないんだよな。じゃあ媒介項になるのは何かっていうと、院生なんだよ。院生はあるテーマをやりたいんであって、別にある分野の専門家になりたいわけじゃない。ある問題を解きたいときに、研究室内のリソースだけでは解けないときに、僕たち(SFCの教員)は院生を修行に出すんだよ。SFCの良さは、自分の院生に対して「お前そっち行って勉強してこい」と言えるところ。
若林
それは学際的研究者を集めたSFCらしいユニークな点ですね。京都大学をはじめ多くの大学院は今も基本的にクローズドで、いわゆる小講座制の指導教官モデルなのに対して、SFCは指導教員はいるけど積極的に外に出しているって話ですよね。
熊坂
僕も、社会学や社会調査は教えるけど、テクノロジーは教えられないから、それは詳しい先生のところに行って学ばせる。そうするとその院生は、2つの専門分野を融合したようなドクター論文を書くんだよ。その結果、今までの部族がバラバラ、いわゆる専門家というブロックが、ここで初めてガラガラと動き始める。だから、教師は自分の学生を縛るなって言いたいね。縛って自分に従順だってことは縮小再生産でしかなくて、つまらない小人を作るだけ。もっと大物を作りたいなら、自分と違うところにどんどん弟子として送り込めと。修行に出すと、向こうで喧々諤々バトルをして帰ってきて、一段階深いレベルで2つの研究室の人と物とを結びつける。そこに新しい知の世界が拓けてくるわけだ。そういう事をすごく積極的にやってるところがSFCの良いところだよ。
4.CIECは新たな知のインキュベーター
若林
「本当の学問とは何か」ということに関しては、京都大学にも宮野先生(宮野公樹・学際融合教育研究推進センター准教授)という人がいて、自分の元の専門を離れて学際推進ユニットを作っていろんな企画をやっていますけど、我々が目指すものはそれぞれの専門領域の発展や生き残りじゃなくて、明らかにしたい対象や実現したい目的の方が本質。であるならば、使う分野は多様であっていい訳で。その意味では閉じるのではなく掛け算というか、学際的なアプローチによって融合して、新たな学問を生み出すというダイナミズムこそが本当の学問ですよね。でもアカデミズムの世界では、新しい学問をやろうとすると、査読が通らなかったり、どの論文誌に投稿していいのかわからないといった問題がしばしば起こる。
熊坂
だからCIECはすごくいいんだよ。CIECには若干卑下した形で、第一の専門ではなく第二の専門によって緩やかに繋がればいいという環境がある。だって僕と鳥居さん(鳥居隆司CIEC副会長/椙山女学園大学文化情報学部教授)なんか全然関係ねぇもん。でもあの人エンジニアで面白いじゃん。だから僕も鳥居さんにハンダコテとかもらってさ、いろんなものを作ったりするんだ。そういうつながりをCIECはもっと積極的にやっていかなくちゃならない。査読についても「俺の専門領域からしたら、こいつは許せねぇ」とか、そういうつまらない鎧は外せっての。査読をするときはもっと本質的に「このテーマはどういう風に考えればいいんだろうか」と素直に読めと。そうすることによって自分も勉強になるんだから。自分の専門から見ると非常識でも、面白ければ、それを非常識と呼んでいいのだろうかという問いかけが自分に返ってくる。それが、今まで自分が持ってきた既存の枠組みを変えて、新しい視点を与えてくれるかもしれないんだから。CIECは色んな人がいて、それができるからね。
若林
今回CIECの会長になったのを機に、自分なりのビジョンを示す必要があると思って、サイトにメッセージを載せたり、横川先生(横川博一CIEC会誌編集委員長/神戸大学国際コミュニケーションセンター教授)からのインタビューを会誌に載せていただいたりしてるんですけど、新しい教育が目指す方向性として「越境こそが学び」というものがありますよね。すなわち自己を見つめて自己を革新するためには他者とつながることが必要という。そのことをまさに体現しているのが、ゆるい連結、弱い連結の場として成立しているCIEC。普段出会わないような人たちとの出会いを通じて、モノを見るメガネも変わるし、パワーすなわち既に持っている手段やテクノロジーも変わる点が、CIECの本質的な魅力であり、特性ですよね。CIECだったら発表できるしCIECだったら掲載してくれるわけだから。もうちょっとそういう意味で冒険して欲しいですよね。
CIEC
若林靖永 (京都大学経営管理大学院経営研究センター長) CIECは1996年7月に設立されました。大学生協がアップル社マッキントッシュを販売する事業を開始するなかで、HELP計画を展開するよう...
熊坂
だからCIECの可能性は無茶苦茶あるんだけどさ、やっぱみんな古くさいんだよ。専門領域に固執してどうするんだって話でね。確かに専有するという概念で、学問は伸びてきたかもしれないけど、もう今はそういう時代じゃないんだよ。重要なのはパクり合い、良くいえば「シェアする」という発想だよ。「越境」という言葉も僕は長岡さん(長岡健CIEC元副会長/法政大学経営学部教授)から初めて聞いて、「あっ、いい言葉だな、パクっちゃおう」って(笑い)。そういう風にどんどん自分の専門領域を開いて越境して、自由に良いものをコピーしちゃってさ。そうすることで新しい知を再構成することが求められる時代なんだよ。そのためにCIECはすごく良い場所なのに、みんな活かしきれていない。もっとフリーになれば、もっと面白い世界が開けると思うよ。
若林
そう思いますね。私が時々使う言葉遊びに「深化」と「進化」ってのがあります。人間は一つの価値基準が定まるとそれが強化されるんですね。そうすると集中して深掘り、すなわち深い方のシンカ(深化)が起こる。それも一つの知の発展方向だけれども、多くの場合行き詰まる。他方、もうひとつのシンカ、今度は進む方のシンカ(進化)だけれども、融合して、突然変異的に新しいものに生まれ変わっていくというダイナミズムがある。その「深化」(集中)なのか「進化」(創発)なのかでいうと、CIECは明らかに後者。もっともっと融合が起こるような触媒、インキュベーターとしての場にCIECがなれれば、CIECにしかできないくらいのオリジナリティになるんじゃないかと思いますね。
熊坂
ほんとそうだね。CIECの会長を僕が妹尾さん(妹尾堅一郎CIEC元会長/産学連携推進機構理事長)から引き継いで、若林さんにバトンを渡してという中で、そのビジョンのラインはしっかりとキープされているのはいいんだけど、まだ十分に浸透していないからね。その点はしつこく、しつこく言わないとな(笑い)。