高遠節夫さん(東邦大学理学部訪問教授、KETpic開発者)

KETpicは LaTeX文書に数式処理(リスト処理)ソフトで作成した図を挿入することができるマクロパッケージであり、最近は動的幾何ソフトウェア Cinderellaとの連携も行われている。KETpicの開発経緯と、それを活用した教材作成に対する思いを、開発者である東邦大学訪問教授、高遠節夫さんにお聞きした。
(インタビュアー:CIEC会誌編集長 中村泰之)


※ Special第7回は、CIEC会誌『コンピュータ&エデュケーション』(Vol.39)の巻頭INTERVIEW(pp.3-10)を、3号(上・中・下)に分けてお送りします。今回はその「上」です。


教科書執筆をきっかけとしたKETpicの誕生



中村

先生は KETpicという TeXでの描画用ライブラリを開発され、現在ワークショップを全国で開催して普及に尽力されていますが、どのようなお考えで、またどのようなことを目的として広めようとしておられるのかということについて、今日はお話を伺えればと思っています。まず、先生のご専門はどのような分野でしょうか。




高遠

私の専門は数学で、微分方程式、偏微分方程式を大学院の頃に勉強しました。ただ、今ほとんど活きていないのですが。



中村

では、高専に移られて教育畑をずっと歩んでこられたわけですね。



高遠

そうですね、大学院を出てからしばらく予備校などで教えた後、木更津高専に行ったのですが、そこで数年してから、1983年頃、先輩の先生が、大日本図書の高専数学シリーズの執筆陣に入らないかと誘ってくれました。



中村

教科書ですか。



高遠

はい、応用数学の教科書です。だいたい 10年に一回、1年の基礎数学から始まって、2年生の微分・積分の I、II、それから線形代数、その上に確率・統計と応用数学というのをだいたい 4年生でやるのですが、その応用数学と確率・統計のところでメンバーに入ったんですね。今年の培風館の図書目録にも書いたのですが、教育に関しては、その前に予備校などいろいろなことをやっていたこともあって、自分としてはある程度、教えることに関しては自信があったんですよ。だから、教科書も頼まれて、待ってましたと。

大きかった教科書執筆での挫折経験



高遠

原稿を書き上げて、意気揚々と最初の編集会議に臨んだんです。こっちは「どうだ」という感じで。ところが、編集代表の先生から、本当に優しいんだけれども的確に、ここはこうやって、ここはおかしいですねって指摘されました。おかしいっていうのは、論理的におかしいというのもあるんだけど、やっぱりこの書き方では学生には伝わらないんじゃないでしょうか、といったことです。優しいんだけどね、もう本当にポイントをきちっとついてくる。今まで自分は教育ができるというか、教科書なんて書けると思っていたのが、ガラガラと崩れた。本当に涙がじわっと出てくるんですよ。でもその経験が非常に大きかった。

学習指導要領のない高専教科書だからできた独自性の発揮



高遠

それから、次の改訂は 1991年から始まったのですけど、この時は最初の基礎数学から全部の教科書に関わりました。原稿を書いただけではなくて、かなり内容も変えたんです。高専というのはご存知のように、学習指導要領が無いんですよね。それで、それぞれ独自性を出そうということもあって、かなり大幅に変えました。ひとつの例として、線形代数の内容ですが、それまではベクトルから行列・行列式で終わっていたんです。だから従来本ではクラメルの公式でおしまい。でも、これじゃまずいだろうということで、固有値とその応用として対角化というところまで、とにかく入れてみたんですよね。で、最初は大丈夫かなと思っていたんだけど、今は、他社でも高専の教科書を出していますけど、全部固有値を入れているんです。大日本の教科書というのは、高専の約3分の2、つまり60%〜70%は使うという意味でも影響力が大きかったということもありますけど、方向は間違っていなかった。それから2001年、次の改訂ですね。



中村

この改訂の時から高遠先生が代表者になられたのですね。



高遠

そうですね。一応は共同代表の形だったんですけど。原稿の書き方も変わりました。ずっと前は手書きの原稿を印刷に出していましたが、前の改訂ではワープロ、私自身は Solo Writerという Macのワープロを使って作成していました。そして今回の改訂作業の途中から TeXを利用するようになったんです。ただ TeXで書いても教科書を書くためには図を入れなくてはいけない。文章は emathを使っていましたが、図は WinTpicで作成していました。聞いたことありませんか。



中村

ええ、あります。



高遠

ただ、私はその頃からずっと Macを使っていたので、 WinTpicは Windowsでしか使えないから、図の作成は編集部にまかせていました。そのとき作成したこの教科書を見てください。よく見るとここの xが違うでしょ。



中村

フォントですね。



高遠

このような立体の図になってくると、とても WinTpicじゃ対応できないんですよ。で、これはどうしたかというと、前のシリーズのときにプロのトレーサーが描いたものをそのままスキャンコピーしました。



中村

なるほど。



高遠

これもたぶん WinTpicで描いた図です。だいたいは WinTpicでなんとか対応できるんです。



中村

平面図は WinTpicで、こういう立体の図は……。



高遠

こうなってくると怪しいんですよ。この頃はトレーサーの方もだいぶ高齢化して退職されていたので、編集部の人が元絵を見ながらちょっと線を曲げたりいろいろ苦労してやっていました。



中村

では数学的に描いたわけではなくて、フリーハンドでこういう曲線だろうと描いたのですね。



高遠

はい、フリーハンドに近いですね。 WinTpicでも微分積分I(高校範囲の微積分)までは何とかなるんですけど、微分積分II(大学初年級の微積分)になってくると空間図形が多いものですから、対応できなくなったのと、さらに応用数学になってくると、ベクトル解析が出てくるんですよね。その場合、このような曲面になってくると、さすがにもう WinTpicじゃできなくなったので、何とかいい方法はないかなと思っていました。それで、Mapleを使って emathの emathPパッケージの描画コードを出して利用するということをしていました。それが多分 KETpicの最初、生まれる前というか、生まれた時というかそんな感じです。ただ、Tpicを出すんじゃなくて emath自体のコードを出していくというものです。これでやっていた時に emathじゃなくて kemathという名前で呼んでいたんですよ。



中村

kemath……。



高遠

emathの木更津バージョンです。



中村

それは高遠先生が開発されたものですか。



高遠

そうです。その emathの描画コードで最初に引っかかったのが、まさに斜線塗りなんですよ。こんなふうに図形にくぼみがあったりするとうまくいかない。これじゃだめだとなって、結局自作しなくちゃいけないかなと思ってきたのが 2005年の秋ですね。その斜線を塗るというのを自分達で内部化しなくちゃいけないとなると、そのアルゴリズムをどうやって作ったらいいのかということが結構大変だったんですよ。で、木更津にいた時の同僚の山下さんと、夜になるといつも議論していました。でも単純なんですよ。ある点が内部にあるかどうかを判定すればいいんだけれど、その判定の仕方というのは、そこから半直線引いて、半直線が境界と何回交わるかを考えればいい。奇数だったら内部にあるし、偶数だったら外にある。それが原理なんだけど、これをちゃんと動くようにするには、じゃあぎりぎりのときにはどうするかとか、接するようなときとか、いろいろあるんですが、試行錯誤しながらとにかく動くようになったんですよ。それで、そのアルゴリズムは全部 Mapleで計算させて、計算した結果をTpicコードとして出していくんです。

KETpicの誕生と国際会議での発表



高遠

それで逆に戻ってみると、emathで出来ない理由というのは当たり前で、 emathは全部 TeXのプログラムでやっているんです。TeXのプログラミングというのはそんなに複雑なことはできない。だから両端の交点を求めて、その交点を結ぶくらいはできるけれど、ほんとにこう入り組んだときにはできない。そのプログラムをやるためには TeXではなくて、やっぱりちゃんとしたものが必要だった。私自身は Mapleを結構使っていたし、Mapleなら複雑なこともできたんです。それで Maple版の KETpicが生まれたのが 2005年の忘年会の頃です。飲みながらね。木更津のKと、教育、EducationのEを Tpicにつけて KETpicです。年が明けて一通りのことができるようになりました。それで、2006年の3月にスペインの国際会議に申し込んで、4月に同僚の関口さんに論文を書いてもらって、それがラッキーに通って、実際に発表したのがその年の9月です。



中村

そのときが KETpicの最初の発表ということですね。



高遠

そうですね、海外での発表は1回きりだと思っていたんですが、オーガナイザーの一人のイグレシアスさんという方が聴いてくれて、「ワンダフル、ワンダフル」といいながら、だけどこれは Mathematicaでもできるはずだとか言われて。あの人褒め上手だから、ついその気になって、じゃあ次の2007年の5月に北京で行われる国際会議に来ない?とか誘われて、それで行くようになっちゃいました。

この続きは「第7回#2 学生が何を感じるかに思いを馳せた教材作成を目指して(中)」をご覧ください。