書籍情報

書籍名
教育におけるコンピュータ利用の新しい方向
「わかちもたれた知能」と学習者共同体の形成
“Disdtributed Intelligence” and the Learners' Community

1997年 PCカンファレンス シンポジウムの記録 (CIEC・全国大学生活協同組合連合会共催)
編著者 佐伯 胖・湯浅 良雄
発行元 CIEC
体様 A5判 145頁
発行日 1998.7.25
価格 本体 1,200円 (税別)

書影:教育におけるコンピュータ利用の新しい方向

目次

第1部 シンポジウム

司会 佐伯 胖「シンポジウム開催にあたって」

パネリスト1 ロイ・ピー「わかちもたれた知能と世界的なインターネットによる学習環境」

  1. はじめに
  2. 情報技術
  3. わかちもたれた知能
  4. 仮想学習共同体
  5. コービス
  6. タップドイン
  7. 仮想世界テクノロジー

パネリスト2 三宅 なほみ

  1. わかるということはソーシャルなもの
  2. わかる過程を外から見る
  3. 外化を上手に利用して賢くなる
  4. プロセスの外化にコンピュータを使う
  5. 外化から共有へ
  6. ネットワーク社会そのものを作っていく

パネリスト3 佐藤 学「コンピュータが媒介する学びの共同体=刈宿教室『らしさ工房』における出来事」

  1. 教室の風景
  2. 身体の時間
  3. 装置
  4. 身体の往還
  5. 身体と媒体

第2部 座談会

  1. シンポジウムの感想
  2. 日米のアプローチの違い?
  3. 異質なものとの出会い
  4. 思考プロセスの記録
  5. 「知の共同体」と大学教育
  6. コンピュータとネットワークの可能性

はしがき

コンピュータに関する多くの研究団体のなかで、CIEC (Concil for Imprrovement of Education through Computers:コンピュータ利用教育協議会) というのは、コンピュータ利用にかかわる様々な問題に対して確たる思想をもって対処しようとする、数少ない (もしかすると我が国唯一の) 研究団体ではないだろうか。 コンピュータ教育が論じられるときは、我が国ではとかく技術先行型であり、新しい技術をどうみごとに使いこなしているか、どううまく子どもに教えられるか、という話になりがちである。 研究発表といっても、「こんなふうに使ってみました」の報告がほとんどで、それが教育としてどんな新しい概念、新しい考え方を提起しているのか、教育をどう変えようというのか、というような根本問題に対して何らかの提言をしているものはほとんどない、というのが大方の実状ではないだろうか。 CIEC では、当初から、コンピュータ教育についての根本的問題殻から目をそらさないという姿勢が貫かれ、様々な研究会でも、「それでほんとうによい教育になるのか」、「今、教育で必要なのは、そういう実践なのか」などをめぐって白熱した議論が交わされている。

今回のPCカンファレンスは、そういう議論の中から生まれた。 まず何より、「コンピュータ教育に対して明確な思想を!」というのが最大のスローガンであった。 あれもよい、これもよいではない。 こういうことはだめ、こういうことが本来の姿だ、とはっきり言える思想、それを支える理論的、実証的根拠、そういうものを求めたのである。 そして、その中で明確になったのは、旧い「教育工学」が引きずっていた行動主義心理学のルーツを断ち切る、ということであった。 このことは、自然に、行動主義心理学への批判から生まれ、そこから人間の思想や行動に関する新しい知見を開拓している認知科学へと関心が移って行った。 実際、米国やヨーロッパのコンピュータ利用教育は、明らかに多くの認知科学者たちとの連携で開発され、実践されている。 しかも、単にコンピュータ利用技術にエキスパートシステムを利用するというような「技術的な」面だけでなく、人間をどう見るのか、学習するとはどういうことだと考えるのか、理解とはそもそもどういうことなのか、というような「思想」面で、認知科学の知見を積極的に取り入れたコンピュータ利用教育が開発されているのである。 欧米のコンピュータ利用教育の分野で広く受け入れられている認知科学というのは、人工知能やエキスパートシステムに代表されるような「コンピュータの情報処理」を人間の情報処理のモデルと考える情報処理心理学というよりも、人間が道具使用に焦点を当てるヒューマン・インターフェイス研究や、道具や人工物を媒介として人々が共同で作業することに焦点を当てる CSCW (コンピュータ支援協調作業) の研究である。

特に最近は、共同作業を営む共同体への参加過程に焦点をあてた学習論として注目されている正統的周辺参加論 (Legitimate Peripheral Particcipation:LPP) は、多くの人々に影響を与えており、コンピュータをできるかぎり共同学習の道具に使用しているという方向がかなり明確に示されている。 そういうわけで、97年度のPCカンファレンスでは、是非そのような立場を明確に打ち出してくれる人に講演をお願いしようということで、ロイ・ピー教授が選ばれた。 実際、欧米のコンピュータ教育利用教育の実践研究を見ると、その理想的バックグラウンドとなると、必ずといってよいほど、ピー教授の“Distributed Intelligence”(わかちもたれた知能) の概念が言及されている。 ピー教授こそが、新しい認知科学の知見をふまえたコンピュータ教育理論の中心人物であることは明らかであった。 ピー教授の議論を展開し、また、ピー教授と対等に議論が出来る日本側の講師としては、我が国の認知科学者の中で一貫して道具使用の認知科学を中心的に研究してきておられている中京大学教授の三宅なほみさん、また、多くの実践研究の観察と指導を経験しつつ、常に教育の根本的問題を掘り起こして人々を目覚めさせている教育学者でもある、東京大学教授の佐藤学さんにお願いした。 コンピュータ教育を論じるとき、こういう「道具使用の認知科学」の知見と、真に教育的な目で「教育実践」を見るまなざしの両方を、きちんと据えるという立場を明確に打ち出したかったからである。

カンファレンスは、筆者の目から見ると「大成功」だった。 かなり「踏み込んだ」議論が出たし、きわめて明確に「今後、進むべき方向」が見えてきた。 また、聴衆の反応も、結構良かったように思えた。 しかし、その後、いろいろな方々から、「話が難しすぎた」とか、「認知科学の知識を前提にしすぎる」とかのご批判が出された。 また、英語を中心とした発表と議論で、通訳がついていたものの、よく聞き取れなかったという不満も出された。 そいういう訳で、この度、あのときの発表や討論が日本語で出版物として刊行されるのは喜ばしい限りである。 カンファレンスに来られた方々には「あの興奮がよみがえる」であろうし、参加されなかった方々には、「これこそが、コンピュータ教育についての、もっとも掘り下げた議論と、大胆な新しい方向が示されたのだ」と、驚きと感嘆の声をあげられるに違いない。

佐伯 胖